日本のシティ・ポップの先駆けとして今もトップを走り続ける山下達郎さん。
今回は、山下達郎さんの生い立ちに迫ってみたいと思います。
この記事では
・山下達郎の実家はヤマザキYショップ?
・山下達郎さんの不登校だった高校時代とは?
と題してお伝えしたいと思います。
ぜひ、最後までごらんください。
山下達郎の実家はヤマザキYショップ?

山下達郎さんは、1953年2月4日、池袋西口界隈で居酒屋を営んでいた両親のもとに生まれました。
一人っ子で、両親は共働きだったため、鍵っ子だったようです。
山下達郎さんがい生まれてからは、父親は祖父が倒産させた電気職工を引き継いで立て直そうとしますが、1957年、復興の好景気の反動で景気は冷え込み会社は倒産したようです。
1966年、山下達郎さんのご両親は、今度は移り住んだ練馬区平和台で菓子店を開業します。
山下達郎さんは小さい頃実家にお菓子がたくさんあったため、お菓子が苦手になってしまったようですね。
ツアーグッズのタツローくんクッキーも食べたくないと語っていました。
さて、山下達郎さんの実家のお菓子屋さんの名前ですが、「山下菓子店」説と「ヤマザキYショップ」説があります。
一体どっちが本当なのでしょう。
とあるブログでは「山下菓子店」と記されています。
山下達郎は昔から好きなんだけど、僕の地元、東武練馬駅と平和台駅の中間あたりに(かつて平和台は陸の孤島でこの駅はなかった)「山下菓子店」があって、ここが彼の実家だった。子供の頃、よく菓子パンやアイスを買いに行った店でね、本人を何回か見かけたことがあるけど、6つ年上でずいぶんと大人だった記憶だけ。
引用元:ブログ・元祖カレー研究家小野員裕より
東武練馬駅と平和台駅の中間あたりに「山下菓子店」があったと書かれていますね。地元の方のようなので、確かな情報なのでしょう。
また、別のブログには次のような記載がありました。
当時、山下さんのご両親は東武練馬で菓子店(ヤマザキYショップ)を
引用元:http://tobu-tojo.seesaa.net/article/59314726.html
営まれていたそうです
もしかしたら、元々山下菓子店をされていて、途中でフランチャイズ化しヤマザキYショップに変わったのかもしれないですね。
現在は、東武練馬駅と平和台駅の中間あたりに「山下菓子店」も「ヤマザキYショップ」も見当たらないので、閉業されているようです。
山下達郎さんの不登校だった高校時代とは?

現在は、国民的ミュージシャンとして大活躍の山下達郎さんですが、高校時代は不登校になっていたこともあるそうです。
高校生の時、70年安保とも相まって、僕は学校をドロップアウトしてしまいます。学校には趣味の合う友達もいなかったし、3年生の時なんか半分ぐらいしか行ってない。
引用元:https://brutus.jp/yamatatsu_brutus_songbook_interview/?heading=2
山下達郎さんはインタビューでこのように語っていました。
※70年安保とは、、日米安保条約が自動延長するに当たり、反対する大規模デモンストレーションが巻き起こったものです。多くの学校が紛争の現場となりました。
山下達郎さんは、高校時代あまり学校に行かなかったけど、代わりに入り浸っていた場所があるといいます。
それは友人のガレージでした。
でも、友達のガレージがあったから、そこに逃げ込むことができたんですよ。
引用元:https://brutus.jp/yamatatsu_brutus_songbook_interview/?heading=3
山下さんの友人のひとりが地主の息子で広い敷地にガレージがあってそこで楽器や歌の練習をしたり、レコードを聴いたりしていたといいます。
自主制作のレコードもそのガレージで作ったと言っていましたから、そのガレージが山下達郎さんの原点になるのかもしれないですね!
さいごに
今回は山下達郎さんの実家のお菓子屋さんや、高校時代の不登校についてリサーチしてみました。
最後までごらんいただきありがとうございました。

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