1982年に年に発生した松山ホステス殺害事件。
主犯格の福田和子は”7つの顔を持つ女”といわれ、整形手術を繰り返し受けながら顔を変え偽名を使いながら約15年間逃走を続けました。
その福田和子受刑者には、子供が4人いたといいます。
その4人の子供たちが現在どこで何をしているのか、また特に福田和子受刑者が愛情を寄せていた長男の現在の職業にも迫って見たいと思います。
この記事では
・福田和子の4人の子供の現在は?
・福田和子の長男は愛媛の鉄工所経営か?
こちらについて見ていきたいと思います。
福田和子の4人の子供の現在は?

福田和子は1968年、20歳の時に元ヤクザの男と結婚し1男1女をもうけましたが、1973年に離婚しています。
その翌年の1974年に再婚し、新たに1男1女を授かり束の間の幸せな生活を送っていたようです。
2番目の夫がどのような人物だったのか、定かではありませんが生活は厳しくサラ金に追われており、和子は松山市内のキャバレーでホステスとして働き始めました。
この時、同僚のホステスと金銭トラブルを起こし殺害してしまったのです。死体遺棄に加担した夫ものちに有罪判決を受けています。
福田和子受刑者の一番上の長男は1982年の事件発覚当時、14歳であったことがわかっているため2023年現在の年齢は55歳くらいではないかと思われます。
その後生まれた長女、次男、次女も、大体40代〜50代くらいでしょうか。
4人の子供たちの現在に関しては、詳しい情報が見当たらずどこで何を暮らしているのはっきりとはわかりませんが、もしかしたらどこかで普通に働き家族を持ち暮らしているのかもしれませんね。
そんな中、長男に関する情報のみネット上で見つけることができましたので、そちらをまとめてみました。
福田和子の長男は愛媛の鉄工所経営か?
福田和子受刑者が起こした松山ホステス殺害事件は、これまで何度か再現ドラマとして放送されましたが、ある時放送後に福田和子受刑者の長男が愛媛市の鉄工所で働いているという情報がネット上で流れ、そういう話が出ているようです。
実際のところはどうなのか確証はありません。
この長男については、和子がことさら気にかけており逃亡中も電話連絡を取り、長男が18歳の時には自身が内縁の妻となり切り盛りしていた和菓子屋にまで呼び寄せて、親戚の子だと偽って見習いをさせていました。
やがて長男が結婚することになった時は、長男と結婚相手を京都に呼び寄せて一緒に食事をしたり、孫が生まれたと聞けば、お宮参り用も着物を用意して送ったりしていたようです。
和子が獄中で脳梗塞で倒れ、57歳で亡くなった時も駆けつけ母親である和子を長男が看取っています。この時、長男は37歳くらいだったと思われます。
殺人事件を起こし逃走し続けた母親ではあったものの、長男に対しては優しい母親の愛情を見せていた福田和子受刑者。
人知れず、温かい親子の交流も持っていたようですね。
のちに長男は、和子のことを尋ねられて次のように答えています。
「母を恨む気持ちは欠片もありません。あるのは感謝の思いと、自分の子どもにも同じように愛情を注いでいきたい、そんな望みだけ」
引用元:FNNプライムオンライン
長男は、母親のことを恨んでおらず感謝していると語っています。
殺人者の子供として大変な人生だったと思いますが、母親の愛情を受けていたことに少し救われたのではないでしょうか。
さいごに
今回は、松山ホステス殺害事件の犯人、福田和子受刑者の4人の子供の現在と長男が鉄工所を経営しているといううわさについてリサーチしてみました。
4人の子供たちの現在の様子はわかりませんでした。
殺人犯逃亡犯の子供だと世間に広まれば、ひどい中傷に晒されて辛い思いをするでしょう。
知られないように気をつけながら、どこかでひっそり暮らしているのではないでしょうか。
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